羽田 和剛
有限会社親和 専務
就労継続支援B型事業所「クランク」
サービス管理責任者/介護福祉士
生まれも育ちも鞆町。母が創業した親和に20代から勤め、子育てもこのまちでやってきた。これからも鞆で生きていくからこそ、住みよいまちであってほしい。だから「地域にとって必要だと思うことをする」。幅広い事業を手掛ける親和。原動力はシンプルだ。
放課後等デイサービス「さくらんぼ」の管理者を約10年勤めた後、2023年に就労継続支援B型「クランク」を立ち上げた。クランクは仕事や余暇活動の種類の選択肢の多さが強み。長い支援の経験から、誰かと信頼関係を築くことが生活を豊かにしていくと知っている。「その人に合った社会参加のカタチを後押ししたい」。ただ、「生きるって楽しいことだよ」と伝えたい。
地域共生って、堅苦しい。ただ「目の前にいる、誰かを排除しないまちにしたい」。「知らない」ということが偏見に繋がらないように、関わり合える機会の種をまいていく。その先に年齢を重ねても、障がいがあっても、誰でも、居場所となるまちがある。
小林 三穂
看護小規模多機能型居宅介護「さくらホーム・原の家」
スタッフ/ケアマネジャー/介護福祉士
2004年、開設当初のさくらホームで働いていた時、「実は、一度辞めたんです」。入所者のパッド交換を一斉にする施設介護を経験。「常に動き回っていた」という速さ勝負の介護の場にいた。「1人にゆっくりと向き合うさくらホームに慣れなくて」。でも一度離れると、ここでしかできない介護に挑戦してみたくなった。眠れない方の家に行って、隣で寝たこともある。大みそかに認知症の方を捜索したことも。「振り回される大変さが、おもしろい」。
ベテランと呼ばれるようになった今も、「介護ってわからないことだらけです。だから私はずっとそばにいます」。表情や動きをつぶさに観察し、ご本人の思いを確認してゆく。いつからか、介護とは「時間を惜しまないこと」に変わっていた。「利用者さんにとっての『空気』のような存在でありたいです。いっしょにいる間、風通しを良くして、すっと不安をとばせるような」。”その人らしさに寄り添う”さくらホームの介護の体現者。
国近 みはる
看護小規模多機能型居宅介護「さくらホーム・原の家」
スタッフ
「ご本人の『できる』は決して奪いたくないです」。訪問先のご自宅で、テーブルの上にあったおかずは、自分が冷蔵庫に入れた方が早くても、ご本人に入れてもらう。利用者は、ほぼ独居。1人で生活する力を残すために「ペースに合わせて待つ」ことを大事にしている。
厨房職場での採用で、異動した時は介護未経験だった。「利用者さんとの関係がうまくいかず、凹むこともあった。でも(代表の羽田)冨美江さんに『人と人、上も下もない』って言われて、思い直したんです」。フラットな姿勢でいるからこそ、残る力を信じられる。
まちに散らばるさくらホームの拠点は「行けば誰かとおしゃべりできる、そんな場所です」。地域住民から「困ったら、さくらホームに行けばいい」という声もよく聞く。居場所になれている確かな手応えがある。頼られるけど、頼られすぎないように。それが「地域で生きていく」を支えるということだと思う。
趣味はソフトバレーボール。練習日は、早く帰る。ように、頑張っている。
赤澤 壮介
地域密着型デイサービス「鞆の浦・さくらホーム」
管理者/作業療法士
人を気にかけ、常に笑顔で、場を楽しむ。利用者の全体像を把握し、生活をどう継続していくかの最適解を提案する。人柄と専門性で、リハビリチームのリーダー的存在。
前職場は地元岡山の病院で、脊髄損傷を専門に13年務めた。患者の中には突然の事故で肢体不自由となり絶望の淵にいる人も少なくない。それでも明日は訪れる。「リハビリには技術以上に、『できるようになりたい』というやる気を引き出すコミュニケーションが一番大事なんです」
デイサービスに通う元理容師の利用者が、リハビリの末にもう一度ハサミを握ったことがある。通所し始めて、知人の他利用者の髪を切りたいとの目標ができたからだった。本人が培ってきた社会とのつながりに着目することが、支援だ。役割を取り戻した先に「卒業」もあり得るデイサービスを目指している。
昔から地域福祉に関心があり2018年に、家族と共に鞆へ移住。3人の子を育てる。「利用者さんが子供を気にかけてくれる時、幸せを感じます」
下畠 有喜
放課後等デイサービス「さくらんぼ」
管理者/作業療法士
故郷の京都の病院で働いていた頃、生活動作を支援する仕事なのに病院にばかりいることに違和感を覚えた。リハビリの先の「生活の場」が見てみたい。2015年、「地域で生きる」とは何かを知ろうと、「鞆の浦・まちづくり塾」の門をたたいた。認知症となり、バリアだらけの家に住み、それでも住民の支えと共に生きる高齢者の姿を目の当たりにした。祭りの熱狂も、よその家で夕食をごちそうになることも初めての経験だった。翌年、鞆に移住した。
「原の家」で訪問リハビリを経験後、2019年にさくらんぼへ。そこらへんから海に飛び込んでみたり、しまなみ海道をサイクリングしてみたり。「制限だらけの世の中で、家でも学校でもできないことができるのがさくらんぼの良さ」。「子どものやりたいことを引き出しつつ、一緒に遊びたいと思ってもらえる『近所のお兄さん』でありたいですね」。2人の娘の子育て中。娘は祭りもよその家でごはんを食べるのも日常的な鞆っ子。
東 潤音
放課後等デイサービス「さくらんぼ」
児童指導員/作業療法士
広島県内外の介護施設や精神科で働いた後、2019年からさくらんぼに勤務。子どもに関わる仕事は「向いてないと思っていた」のに、気づけば「子どもの作業療法にどっぷりハマってて」。文字を書くのが難しいのは、体の使い方が原因かと考えてみては、適切な運動を日常の遊びの中に取り入れていく。
未就学児対象の「児童発達支援」のリーダー。「興味を増やす時期だと思うんです。『好き』を見逃さずに伸ばして、トライして失敗したら一緒に次の方法を考えて」。試行錯誤の先にある子どもの小さな変化が、うれしくて、楽しい。
自身も、さくらんぼに来てからできることが増えた。「釣りも、魚のさばき方も、遠泳も。全部子どもに教えてもらった」。できないことでも一緒にやってくれる人さえいれば、越えていけることがある、と思う。「居場所って『人』だから。子ども一人一人を肯定したい。今を全力で楽しめる環境をつくっていきたいです」
石岡 禅三
放課後等デイサービス「さくらんぼ」
児童指導員/介護福祉士
さくらんぼを利用し始めたばかりの子どもは、やりたいことがあっても時に表現をためらう。自分に自信が持てていないから。だからこそ「失敗しそうな時の言葉かけを大事にしています。『自分なんて』と思わないように」。自信のなさとは、自分も長く戦ってきた。生まれた時の性と心の性が合致せず、苦しんだ。今もだ。「周りには見えなくても、それぞれが心の中につらさを抱えている。それを理解したいと思う」。障害、性別といった属性で人を判断せず、その人の思いにフォーカスする。それが、揺るがない支援の軸。
2023年、胸を切除する手術をすること、身体も男性に変わっていくことをさくらんぼの子の前で説明した。茶化さず、静かに聞き、すっと受け入れてくれた。さくらんぼで働いて、強くなれた。「自分を大事にできないと、人を大事にできない。自分を好きでいるって簡単じゃないけど」。自然体でいてもいいと思える場づくりは、大切で、難しい。それを知っている自分にこそ、できることがある。
子どもからも大人からも、あだ名は「ぜんちゃん」。
江坂 元
グループホーム「鞆の浦・さくらホーム」
スタッフ
イベントがあれば、着ぐるみを着て現れる。他部署の行事にも、応援に駆け付ける。目の前の人と、一緒にとにかく楽しみたい。「人が好きなんよ」
60歳まで製造業の会社員。専門は機械工学。40歳の時、赴任先のアメリカで家を買い、家族3人で暮らしていこうとした矢先、妻ががんで亡くなった。その2年前に、母も他界していた。息子は当時7歳。1人では育てていけない。会社を変え、父の住む故郷の鞆へ帰った。
子が巣立った頃、父の認知症が進行。在宅介護が始まり「原の家」を利用した。仕事で急に家に帰れなくなった時、スタッフは父のもとに駆け付けてくれた。近所の人が転倒した父をベッドに連れて行ってくれていたこともある。定年後「助けてくれた人たちへの恩返し」と介護の勉強を始め、鞆に根差すさくらホームに入職したのは、自然な選択だった。
人生はままならない。それでも、過去の苦労は“人”と一緒に乗り越えてきたから、“人”が好き。「利用者さんが毎日笑顔でいてくれたら。それだけです」
柏原 展江
就労継続支援B型事業所「クランク」
スタッフ/保育士
「スープとおにぎり クランク」のとびきり明るい接客スタッフ。旅行客も、地元の親子連れも、誰とでもおしゃべり。それが性で、土地柄ゆえかも。結婚を機に鞆へ。「子育てしやすいまち。地域の人が自然と気にかけてくれるから。だから私も、気にかけていたい」
前所属は「さくらんぼ」。開設時から9年勤めた。クランクには、成長したさくらんぼの子どもが時に客として訪ねてくる。「長年、所外に出られなかった子が、鞆のまちを歩いて、クランクに来てくれた日は、泣きました」。本人の「やりたい」を伸ばす自由度の高い支援。関わり方の“正解”に悩んだこともある。でも、間違ってはいなかった。
クランクを「メンバー(利用者)さんにとって、ほっとできる場にしていたい」。たとえ“今”が生きづらくても。小さな挑戦を積み重ね、育んだ自信の先、花は開くともう知っている。「メンバーさんの笑顔が日に日に増えているのを感じます。お客さんに『誰がスタッフで誰がメンバー?』って言われた時が、うれしい」
丸岡 京子
相談支援事業所「クランク」
相談支援専門員/社会福祉士
20歳の時、脳性まひの女性の一人暮らしを支えるヘルパーの面接に行った。「人間らしく暮らしたい」と施設を出た人だった。女性に「(隣にいるヘルパーではなく)私を見て話を聞いてくれた。あなたとなら生活できる」と言われたことが、無性に心を打った。そこからずっと「福祉」が仕事。東京でヘルパー、ケアマネジャーとして長く働いたのち、子供の進学を機に福山市へUターン。さくらホームへ入職した。
2024年の相談支援事業所立ち上げ時から現職。「誰が、どんなことでも相談していい窓口です。地域とつながるさくらホームの理念にぴったりな場所」。障害サービスを利用するための計画作りも仕事のひとつ。「言葉や文章になって意識づけられることがある。ご本人も気づかなかった強みに価値を見出せれば」。自身も子育てにつまずいてきた経験がある。「子の支援は、親の支援だと思うんです。子どもの成長を一緒に喜ぶ第三者でありたい」
会いたい人にはすぐ会いに行く、行動力が売り。趣味は畑仕事。土に触れると充電される。
羽田 完治
看護小規模多機能型居宅介護「さくらホーム おおの家」
管理者/介護福祉士
おおの家はスタッフと利用者の距離が近く、アットホームな空気感が魅力。「地域の人にとって、困りごとがあったら気軽に行ける場所でありたい」
でも“らしさ”を築いていくのはあくまで現場。スタッフの自主性とリーダーの判断を信じ、自分の役割は「働きやすい環境をセッティングすること」と言い切る。さくらホームの介護は利用者本位の柔軟さが魅力だけれど、スタッフの犠牲の上に成り立つものであってはならない。悩みがあればいつでも吐き出せるように「顔が見える関係性づくりを意識している」。目の前の仕事が若いスタッフの自信につながるように、得意・不得意を見極める。
出身は鞆町。鞆のさくらホームで約10年勤務後、2016年、相生市に赴任。利用者と家族、スタッフとの関係性を一から築く過程には、苦労も学びもあった。だからこそ、力を込める。「楽しく働いて、互いを認め合うことが、いい介護につながる。それを下支えできる管理職は、おもしろいですよ」
居城 柚那
事務局 兼 「鞆の浦・さくら荘 いくちゃん家」
スタッフ
”地域福祉”のキーワードに魅せられて、大学卒業後、2023年に新卒で入社。人事と介護現場を兼任する。
子供の頃、精神的に不安定だった家族を支えていた時期がある。そんな時、ご飯に呼んでくれて、時に叱ってくれたご近所さんがいた。この体験が原点。お互いさまの文化の大事さが身にしみて分かる。「『助けて』と言いやすい環境、子どもの可能性を最大限引き出せる場づくりに興味がある」
さくらホームで目指すのは「強みを大切にできるチームづくり」。能力が発揮できないのは、機会がないだけかもしれない。可能性に焦点を当てることができる人事の仕事は、難しくて面白い。「どんな価値観も否定せず、受け入れられる人になりたい。もっともっと、自分の引き出しを増やしていきたいです」。
地元は新潟。鞆に移住し、暮らす。生活は「適温の半身浴みたいな心地よさ。四季が感じられて、地に足がついた感じがします」。挑戦心と穏やかさが同居する、さくらホームのホープ。